HOME サービス紹介 アマプロバンク 会社概要 主要取引先 メールマガジン リンク


メルマガ登録(無料)
メールアドレス

連載コラム

登録者ブログ

菅原然子の教育ウォッチ

【菅原然子プロフィール】

フリーランスライター・編集者。主に教育関連の雑誌およびweb媒体の記事執筆等に かかわる。趣味はチェロを弾くこと。家族は夫と娘(2歳、0歳)+パグ犬とウサギ。

  
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-07-07 15:26:44 (15 ヒット)

2011年から6年間続けさせていただいたこの連載も、今回が最終回となりました。教育について、いろいろと取り上げて考えをお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

教育というのは、誰にでも語ることができる分野です。それは、この国に住むほとんどの人が義務教育を受けてきたから、つまり、経験があるからです。「私が小さかった頃は〇〇だった」というのはよく聞く台詞。「私が小さかった頃は学級崩壊なんてなかった」「私が小さかった頃はこんな教え方はしていなかった。昔の方がよかったのに」などなど。

確かに、自分に経験があることについて、一家言申したくなるのは分かります。ですが、自分の経験だけをもとに教育を語るのは危険だと私は思っています。なぜなら、当たり前のことですが、自分が子どもだった頃と今とでは、社会状況がまったく異なります。親の平均的な学歴も変化していますし、きょうだいの数だって減っています。仕事の種類も様変わりし、大人が子どもに身に付けてほしいと思うことも変化しているでしょう、

このように子どもを取り巻く社会状況は日々変化しているのですから、自分が子どもだった頃はこうだったから、今もそうしたほうがいい、という意見は見当違いもいいところです。では、何を頼りに教育について考えればよいのでしょうか。

私が考える時に頼りにしているものの一つは、データです。学生時代、教育社会学という分野を専攻したのですが、そこでは、データを冷静に分析しながら、教育について考える人がたくさんいました。もちろん、そのデータを出した調査自体の信ぴょう性も問わなくてはいけませんが、数字というのはウソをつきません。感情論で教育を話すよりも、ずっと説得力が増します。

もう一つは、歴史です。振り返らないで前進するという美学もあるかもしれませんが、やはり過去を振り返り、そこから学ぶことは多いと思います。当時の社会状況や文化など、さまざまな要素を複合的に俯瞰しながら、その中で教育について見てみるのも大事だと思います。「私が子どもだった頃は・・・」と教育を語りたい人は特に、その裏付けをとるためにも、自分が子どもだった頃を歴史的な視点で振り返る必要があると思います。

誰もが受けてきたのが教育。だから誰もが語りたくなり、主観論が氾濫してわけがわからなくなる、という弊害もありますが、一方で、誰もが受けてきたことは強みでもあると思います。今の子どもたちの教育について考えるきっかけを、誰もが持っているからです。子どもは未来、とは多くの人が語っている言葉ですが、私もそう思います。子どもたちが、今、何を身に付けることが、生きていく上で大切なのか、そのためにはどのような環境を整える必要があるのかを、できるだけたくさんの人で考えたいと思います。子どもの貧困や学校現場での先生方の苦労、保護者の問題など、課題は常に山盛りです。誰もが他人事ではなく、自分事として教育を考えられたらと思っています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-06-07 09:47:00 (15 ヒット)

先週末、取材で六本木ヒルズにある毛利庭園へ行きました。芝生に座ってまわりを見ていると、白人の男の子と女の子が追いかけっこをしていました。男の子は金髪、女の子は茶褐色の髪の毛でした。

「そうだよねえ。海外に行くと目の色、肌の色、髪の毛の色、それぞれみーんな違ったなあ」と、数年前にシアトルの町を歩いた時に、いろんな色の人がいることに、なんとなく安心感を持ったことを思い出しました。

そんな私ですから、ある日の新聞に「地毛証明書」に関する記事を見つけた時(朝日新聞2017年5月1日)、なんだかすごく違和感を持ちました。だいたい、「地毛証明書」が最初何を意味するのか、見出しを見ただけではさっぱりわかりませんでした。

東京都の都立高校の6割が、生活指導の一環として、「地毛証明書」を生徒に提出させているそうです。つまり、その生徒の今の髪の毛の色は生まれつきのものなのかどうかを写真などで証明させ、誤った指導を防ぐためだといいます。

私立高校の生活指導が都立高校よりも徹底しているというイメージから、生徒獲得に影響が出ると考えた都立高校(東京都は公立よりも私立の高校のほうが多い)の必死の戦略らしいのですが、そもそも高校は、そんなに生活を指導しなくてはいけない場所なのでしょうか。生活指導って、家庭ですることではないのでしょうか。

だいたい、多くの公立小学校が私服通学です。それが中学からはなぜか制服になります。思春期にこそ、TPOや自分の体形などを踏まえて、どんな服を着たらいいのか、どんな髪型がいいのか、を考えさせればいいのにと。それはすごく面倒なことでもあるのですが、個性尊重をうたうのであれば、生徒にそうした「考える自由と責任」を持たせるのは大事なことだと思います。

私自身は、校則のない高校に通っていて、2年の時にいきなりパーマをかけました。先生からは「禁止はしていないけれど」との前置き後、「パーマをかけたり、髪の毛を染めたりすることをどう思う?」と聞かれました。私は「自分の責任でしているのだから、別にいいと思う」と答えました(生意気)。なんでも一度はやってみたいのです。でもその結果、私の髪質はパーマには向いていないこと、そもそも全然おしゃれではない、ということがよーくわかり、結局それ以来一度もパーマをかけたことはありません。

変化の激しい社会の中で、自分の頭で考えられる人間を育てる、ということが求められているのであれば、服装も髪の毛の色も、髪型も、自分で考えて何が最善かを選ばせればいい。アドバイスを求められたら大人は真剣に一緒に考えてあげればいいと思います。

こんなことを書いている私ですが、「じゃああなたの娘が高校に入って、真っ金色の髪の毛にして、くしゃくしゃのパーマかけたらどうするの?」と言われたら、うーん、どうするのでしょうか・・・。でも、それを学校に指導してほしいとは微塵も思わないでしょうね。それがおしゃれだ、と思うような子どもに育てたのは、親の責任ですから。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-26 19:07:11 (77 ヒット)

これからの、変化の激しい社会の中で生きていく子どもたちに、どのような力を付ければよいのか、というのは、常に議論されているテーマの一つです。
「変化の激しい」とはいっても、いったいどのように変化していくのかさえわからないのですから、なかなか難しいところです。ただ、人は社会の一員として生きていく、ということはこれからも不変であるでしょうから、人と協力して生きていくためのすべを学ぶのは、無駄にならないような気がします。

このコラムでも何度か書いてきましたが、東京東久留米市にある自由学園という私立学校は、学科はもちろん、それ以外の実学を大事にした独特のカリキュラムを組んでおり、「人と協力する」場面がたくさんあります。私もこの学校で学んだ一人です。

特徴的な授業の一つに、女子部(中・高は別学)の家庭科があります。毎日学年交代で、女子部全校の昼食づくりをするのです。
1クラス、20数人で、午前中2時間かけて数百食の食事を作る授業は、準備の段階からなかなか大変です。数週間前に先生とリーダーが相談をし、献立、作り方の確認、材料の発注、クラスの人への周知のため、模造紙に作り方を書き貼り出す、分担を考える、などの準備を経て、前日準備、当日朝準備、そして午前中2時間で料理をします。

たとえば、鯵のから揚げの担当になると、私が在学当時は数人で600匹の鯵をさばく、なんていう、驚きの授業でした。最後のほうは「魚屋になれるのではないか」というくらいの速さで鯵をさばいたものです(笑)。
この授業、調理技術はもちろん身に付くのですが、それよりも何よりも、マネジメント能力が身に付いていたことを、卒業後に知りました。
何かプロジェクトを進めていく際に、準備段階でゴールを設定し、そこまでのプラン、人の配置、優先順位などの段取りが、スムーズにできることに、多くの卒業生が気づきます。この力は、間違いなく、料理の授業で身に付けたものであることにも。

家庭科の授業ですから、もちろん先生が指導にあたりますが、基本的にリーダーが責任を持つので、失敗することもあります。時間までに昼食が出せなかったり、薪でのご飯炊きで火を引くタイミングがずれて焦がしてしまったり。全員で揃っていただく昼食時間に、全校の前で担当者が泣きながら謝る、という場面も、在学中何度もありました。
先生がすべて先回りして指導するのであれば、こうしたことは起こらないかもしれません。ですが、失敗することで学ぶことは、とても大きい。責任について考えますし、なぜ失敗したのかを検証し、二度と同じことはしない、と思います。そうやって力がついていくのだと思います。実学によってつく力は、どんな社会の中でも役立つ力なのではないかと感じています。

この授業で作られるお料理は家庭料理で、とてもおいしいのですが、このたびレシピ本が発売されました。『自由学園 最高の「お食事」〜95年間の伝統レシピ〜』(JIYU5074Labo著 新潮社 2017年)。私も卒業生の料理ユニットJIYU5074Laboの一員として制作に関わりました。全国の書店で発売中です。料理の授業風景写真なども収録されていますので、ぜひお手にとっていただければと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-04 12:43:18 (23 ヒット)

先月14日、学習指導要領改定案が文部科学省によって示されました。小学校は2020年度から全面実施される指導要領です。学習指導要領とは、全国どこの学校でも、一定水準の教育を子どもが受けられるようにするため、各教科で教える内容の目標や内容について示したものです。

指導要領は、だいたい10年に1回改訂されます。歴史的に見ると、「ゆとり」を追求すると、10年後の改訂ではその反動から教育内容を増やす、というようなことが繰り返されています。今回は、外国語活動が小学校3年から開始になり、小3〜6の授業時間数が年間35コマ増えることに。また、他の授業の内容でも、一斉授業型から対話型など、議論を重視した方法への転換がうたわれています。

こうした内容を見て、一番に頭に浮かんだことは、「現場の先生たちが今以上に大変になってしまうのでは」ということです。電通の女性社員の方が、過労から自殺されたニュースは社会に衝撃を与えましたが、実は学校現場で働く先生たちも、毎日の過酷な労働によってかなり疲弊しているのです。

週当たりの残業時間が60時間を超える公立小中学校の先生が全体の7割を超え、それでも職場では仕事が終わらず自宅に持ち帰ってこなす人が少なくありません。仕事内容は、各種書類作成をはじめとした事務作業が膨大だそうです。保護者対応なども含めると、先生の仕事の中枢である、授業研究に充てられる時間は本当に少なくなってしまうと、以前の取材で聞きました。精神疾患により休職する先生も少なくありません。

先生たちがつらければ、一番に影響を受けるのは、子どもたちでしょう。先生の労働環境を整えることが急務であり、今回の改定案にもカリキュラム・マネジメントという提案がなされていますが、根本的解決のためには先生の人数を増やし、一人にかかる負担を減らすべきだと思います。

このコラムでも何度か書いてきましたが、日本は子どもに国のお金をかけなさすぎます。先生を増やすことは、子どものためにお金を使うこと。これからの社会を作っていくのはいったい誰なのかを考えて、適切な予算配分をしてほしいです。よく、何か事業を起こすときや、企画を実現させようとするとき、人は「先立つものがなければ」と言いますが、教育だって同じなのです。新しい学習指導要領を本気で実現させたいのであれば、相応のお金をかけるべきです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-03-03 18:51:59 (28 ヒット)

昔から、教育改革には興味をもっていましたが、子どもを産んでからというもの、かなり「自分ごと」として捉えるようになりました。

ここのところの自分の中での注目度が上がってきているのは、2020年度から小学5,6年で正式教科になる「英語」です。20年度は新学習指導要領が実施される年。英語以外にも変化がある年ではあるのですが、これまで「外国語活動」として実施されていた時間が、正式教科になることは、中でも大きな変化だと言えるでしょう。

長女は現在小学1年。ふと計算してみたら、2020年度になんと、小学5年! そして同年から小学3,4年に外国語活動が導入されますが、次女は20年度に小学3年になる予定。この改革をドンピシャで受ける年齢だった、と、今更気づきました。

こんなに多くの学年で英語(外国語活動とは言われていますが、実質はほぼ英語です)を扱うようになると、今以上に先生方の負担は増えるでしょう。
でも、決定したことは避けられないのが今の日本の制度。ではどのような姿勢で取り組んでいくのがよいのでしょうか。グレゴリー・グラスゴーさん(ニューヨーク大学東京校専任講師)は、これまでの経験上、小学校での英語活動がうまくいっているのは、ALTと担任教師が対等の関係でその時間に関わっていたケースだと話します(「ネイティブ教員と役割を対等に」朝日新聞2017年2月2日)。ただのお手伝いではなく、担任教師も主体的にかかわることが大事なようです。

「でも、私はネイティブではないし」「発音に自信もない」という先生も多いでしょう。グレゴリーさんはこうも言っています。
「英語を話す人口は世界で20億人近くですが、ネイティブは2割前後。(中略)日本人教員の強みは、自らも英語学習者であり、子どもたちがどこでつまずきやすいかがわかること。学習者としてのモデルになればいいのです。」

なるほど。英語というとネイティブスピーカーのことを思い浮かべがちですが、実は英語が母国語という人はそれほど多くはないのです。もちろん発音がよいに越したことはないでしょうが、グローバル化する社会の中で子どもに英語を教える意味は、コミュニケーション能力を高めることにあると思います。

ですから、担任教師とALTが授業の場を使ってコミュニケーションをする姿を積極的に示すことが、自然と子どもたちへの教育につながる、とも考えられます。複数の人数でのディスカッションを見せるのであれば、保護者ボランティアをつのってもよいでしょう。

大人たちが、生き生きと、楽しそうに英語を使ってコミュニケーションをする様子を見せることが、子どもたちに「なんか、英語っていい道具だな。使ってみたい」と思わせるきっかけになるかもしれません。
小学校では、英語学習の動機づけさえできれば、十分なような気がします。


(1) 2 3 4 ... 17 »


HOME サービス紹介 アマプロバンク 会社概要 主要取引先 メールマガジン リンク プライバシーポリシー サイトマップ

アマプロ